昭和41年04月16日 春季大祭



 今日わ皆さんおめでとうございます。昨日まであぁいう、御湿りの続いておりました中に、今日は又こういう、好天気に恵まれまして、おかげを頂きまして本当におかげと思わなければおられません。私共が日々こうして、信心の稽古をさせて頂いておるという事は、今日お祭りを申しあげて、又お礼を申し上げさせて頂き、またこれからの事をお願いさせて頂きました、神様のいわゆる天地金乃神様と申し上げる、神様の年に一回のお祭りの日でございます。天地金乃神様というお方は、どう言う様な神様かと。
 教祖の神様が御幼少の時、やはり非常にこの虚弱なお方であったそうですから、やはりあの神信心がお好きであったと。ですからこの物心つかれる頃から、その思われるという事が、どこまでもやはり宗教的だったと。よく上にあります大きな堤がございます。堤の辺りに出られますと、もうその堤の堤防にかがみこまれたら、まぁ一時間でも二時間でもじっとその水の面を眺めながら、そのまぁいうならば、悦に入っておられたと、言った様な御状態の時が、おありになったという事でございます。
 それは教祖の神様が、それをどうと仰った訳ではございませんけれども、後々そう言う様な事が話に残されております。後の者が考えて、まぁ思うのでございます。何の為にそのじっと堤の堤防にかがみこんで、この水の面を見ながらそれを、それを飽きもせずに眺めておられたのであろうか。そういうところを一つお互いが思うてみなければいけんのですね。ある宗教学者の方は、こう言っておられます。
 この水がどこから来て、どこから湧いて来て、どこへ流れて行って、どこで果てるのであろうかと言う様な事を思うておられるのではなかろうかと言うております。私共がこの世に生を受けさせて頂いて、その生を受けさせて頂いたというその事がです、どこから来たのか、そして私共がこの世を去ってまいります。ところが私共は、どこへ果てて行くのが、どこから来てどこへ行くのか、もうこれは大変な問題なのです、ね。
 その事を私共が思わせて頂きます時にです、もう限りない教祖の神様がそうした、御幼少の時に、水の面を眺めながら、飽きもせずに一時間も二時間も、ご覧になっおったであろうという、そういうご情景をです、想像させて頂いてから、私共もそこのところを思わせて頂くのでございます。その教祖の神様が、段々長じられるに従って、十二の歳に川手家にご養子においでになられた。御養家の御両親に向って、一番始めにお願いなさった事は、私は麦飯が嫌いでございます。
 それからその神参りが好きでございますと、いつもの事とは申しませんから、お休みの日だけは心ようその神参りを、お許し下さいという事を願っておられます。そう言う様な神信心の好きなお方であった。その教祖の神様がです、次々と世の中の様々な難儀に出合われた。それは私共と同じ事なのです。けれども、教祖の神様のお出会いなったその、お出会い具合というもの、難儀に直面された時のその具合というものが、誠に有難い事であり、成程教祖の神様が、千年、二千年いや一万年たっても。
 いや今までかつてこの世が始まって以来、こういう氏子を見た事がないと、天地の親神様をして、驚嘆させるようななのがおありになった。これは余談でございますけれども、先日ある長男の学院時代のお友達という方と、そこの教会のまぁ御信者ふうの六十かもう、六十四、五になられる方がそれこそ。まぁ品のいいおじいさんが一緒にみえられました。そうしてあの御造営の現場を、長男が案内して貰うてから、ご覧になるして行きがけにそのバスの停留所で、その降りられましてから。
 あちらの渡辺さんに、ここに金光様とはえらいはっこうしてあるそうですが、どう言う様な所ですかち聞かれたらしい。まぁ私はいつもお参りはしないんですけれども、もうとにかく沢山のお参りがあってもう、それこそお話を頂いておりますと、又私共が実際に知っております事だけでもです、もうそれこそ難行苦行をなさった。とても人が助かる筈でございますがと言うてその言われたという、そういう事をここでお話になります。私が別に難儀苦行したわけではない。
 それこそ、誰でもがやはり通らせて頂くところの、人生の様々な難儀というものと、それは取り組んで来た事だけは違いない。それを、只、あの信心で通らせただけの事。それも教祖の神様があぁして、あぁいう難儀とお取り組みになられたのだから、金光様の御信心をさせて頂くのであるから、教祖の神様がお受けになられたような、受け方でいわゆる、信心のそういう姿勢をもって、その事にあたらなければならないと思うただけの事。先にそうした、素晴らしい見本があるのでございますから楽です。
 その方に私、まぁいろいろ、私にもそれこそお話をすればするほどですね、これは只の人じゃないなぁと私は思うたんです。そして私の心に感じます事が、何々さんという事じゃなくてね、まぁ先生、先生と言うてるんです。お話の中に、ですから先ずなんという先生か分りませんから、先生こう言う様な話がありますが、こう言う様な事ですが、それはもう道の教団の事でも、もうこの近所の熊本、福岡県の隅から隅ままての教会の事を承知なんですね。
 それでその、最近こちらで連合会で信徒会があっております。信徒会の模様なんかを説明を求められますから、私、知っとる限りお話させて頂いたんです。ところが私が知っとる事よりも、もっと詳しく知っとられるその方は。先日私の親教会であります、三井教会で信徒会がございましたけれども、まぁ私の考えるところでは、どんなに考えても現在甘木の平田という、まぁ大平田と皆んなが言うております。先生ともいうております。その平田さんの信心でもう、支えられて居ると言う様な感じであるけれども。
 その非常な過激な、非常にその自分が道の事を思うておる。教会の事を思うておるのあまりにも、もうそれこそお結界に座っておられる先生であろうがね、こういう事で助かる筈がないと、断言していわれるんです。だからやはりあの随分あの怪我も多いようです。その方はまぁ、平田さんの事を、あまり良くは言われないのですけれども、けれども私はその時にですね、成程甘木の信心は、あなたはどういうふうに感じられますか、という事を、甘木の信心というても、やはり金光様の御信心なのだけれども。
 その金光様の御信心であるところの、甘木の信心をどう感じられるかと、言われるので私は、平田さんのお話をさせて頂いた。ほんとに立派です。もう先生は本当に確かに、当時日本一を自他共に許す程の、高徳な先生であった。けれどもその甘木の人が平田さんが評して言われるのに、うちの親先生はうちの先代は、教祖の神様の十をというならば、七つ八つつで位は、その信心を受けておられた方だとこういわれる。
 私はそれを聞かせて頂きながらです、これは大変な事を言われるなと私は思った。だからその事を私は、その先生と思われるその方に私は話した。教祖の神様の御信心というものが、甘木の初代の、例えばどんなに日本一の先生であっても、あれに三つか二つ足せば教祖の神様が生まれなさる、と言った様なそんな神様ではない。教祖の神様は。それこそ千年たっても万年たっても、もう後にも先にも出られまい。
 天地の親神様がです、ほとほとお前にばかりは、もうその神もなからなければ、神が一礼を申すと言う程に、神様からお礼を申し上げる程の、しかも天地と同根ぞと仰る様なところまで、御神格を高められたところの、教祖の神様の信心を、どんなに自分の親が立派であるからというても、うちの先生が教祖の神様の信心を、七つ八つも受け取ったと言った様な、言い方はこれは私は間違いだと思う。
 そこに甘木の信心の間違いがある。私は甘木の信心は私の性格からすると、大嫌いなんだと。あんまりけちなんだ。私がすこし【 ? 】したんです。そしたらもうむきになってその方は聞かれるんですね。そうして聞いていかれるうちにm私の方にね、熊谷さんというもう、椛目に十五年間お参り続けておられる、元甘木の御信者がおられます。そりゃ甘木の先生の仕込みですから、なかなかいい信心を致します。
 現在に至ってもやはりもう、十五年間を吉井の町から、お参りを続けられるのでございますから、まぁその性根本当に素晴らしいと私は思う。私が始めて熊谷さんのところに宅祭に参りました時に、お風呂を頂いた。その時に私は本当に感心やら、馬鹿げた事だと思うたりした事が、というのはです、お風呂に入らせて頂いたら、立派なタイル張りの立派なお風呂なんです。
 ところがその洗い桶というのが、この位ばっかりの子供の玩具用のような、わざわざ作らせたのでしょう。しんちゅうか何かででけておる。それで私がお風呂から上がらせて頂いてから、熊谷さんあれはどういう訳ですかと、私が尋ねたところが、大きい洗い桶に致しますとね、お水をお粗末にする。お湯を粗末に使うこっちゃ勿体ないから、あぁいうのを使うんですよとこう言われる。
 熊谷さんあのね、椛目に御神縁を頂かれるならね、洗面器のもうちょっと大きいとにしなされんと、おかげを頂かれませんよ。私が言うた。これは私の生き方なんです。神様の恵んで下さる限りなく、しかも無尽蔵に下さる、お恵みの水をお湯をです。この位ばかりの水でですね、タオルがちょっと、甘木の私は親先生の悪口を、実を言うたら私は甘木の親先生のおかげで、大変おかげを受けておるし又、私のまぁある意味で帰依を申し上げている先生でもございますけれども。
 私は教祖の神様の御信心の大きいということ。天地の親神様という方は、こういうお方という事を説明する為に、申しておるのでございますから、どうぞその積りでお聞きくださいね。いわゆる甘木の親先生の生き方でも、おかげを受けられるなら、私の生き方でもおかげを受けられるという事。しかも私の生き方の方が、これからの時代にはマッチしておるという事。
 甘木の親先生からもう使うちゃならん、使うちゃならん、それこそ湯気でも始末されると言う様な事ではですね、それは尊い事には違いはないのだけれども、私は嫌いなんです。私はもう使うあの使わせて頂くという事なら、もうそれこそと十杯でも二十杯でも使わなでけんね。気持ちのすっきりするまで。けれども私はもう無駄には、決して入りません。無駄には決してそれを使いません。お湯を越させる様な事は致しません もし私がお風呂に入って越すような時には、もういよいよ自分の信心の間違うた時だと。
 私が入ったならお湯の水が一杯でなからなければならない、又私が綺麗に洗い上げてお風呂を出る時には又、一杯でなからなければならない。これが私の信条なのだ。もしそれにかげておったら少なかったり、多過ぎたりしたら私の信心の間違うとる時だと、私は深く反省し、というて使う事においては、限りなくなんぼでも使わせて頂く。タオルでも普通の者が二へんしか濯がんでも、私は三へんでも四へんでも濯かなでけん。頭でもしんからまんからあその、洗いあげてでなからなければ上がろうごとなか。
 甘木の先生もそういう例えば、御信心によって大徳を受けられたならです、私もそういう信心をもって、徳とまでいかんでも、おかげを受けておるんだとね。私はねその方から求められて、甘木の信心をここのところをですね、私はね、恐らく小倉の桂先生でも久留米の初代の石橋先生でも、甘木の初代の安武先生でも、そういう信心を私共がいっぺん頂いて、そしてそれよりも、もっと時代にマッチしたとこの信心を頂いていくとするならば、もうそれは必ず、初代や先代がお喜び下さる事に違いない。
 俺よりも偉そうな事を言うとると、いった事でいばんなさるような、先生方じゃないという事ね。私はそう言う様な事を申しましたら、分りました。私も甘木の信心をそういうとこんところを、もうその義憤に感じておったんですけれども、先生のお話を頂いておったらそこのところが分ってきたというて、その段々私の話にいよいよ身を入れて聞かれるようになり、質問をされる。
 私共が教祖の神様のお取次によってです、お取次をもって頂かせて頂いておるところの、天地の親神様というお方はですね、こういうあり方にならなければ、おかげが受けられんという神様ではない。これが信心だと確信するところをいけばいいのだと。だから確信する事を行じさせて頂くうえにおいてですね、私共の心の上に、安らぎを頂きそれにおかげが伴うておるところの、おかげを頂かせて貰うという、いわば答えが出てくるならば、それは間違いないのだ。
 私が唱えておる事、私が言うておる事がです、私の信心の段々進められ方によってこれからの、ね、成長して参りましたら、又、私の考え型が変わってくるかも知れない。そうして、私共が一生その事を追求して、その事を頂かせて頂くと致しましてもね、【   ?  】帰依するというか、その神様とご一緒になるというか、そういう道を教祖の神様は打ち立てて下さり又、そういう道を私共にお教えてやって下さる。真に有難しと思う心、直ぐにみかげのはじめなり。
 私共が真に有難いと思う時、もうその天地の親神様と心が通うのである。ですからそういう通う心をです、いつも通わせて頂けれるような心を頂かせて頂く為に、教祖の神様は本心の玉を磨くものぞ。日々の改まりが大事ぞと仰る。なぜ私共が本心の玉を磨かせて貰わなければならんのか、なぜ私共が日々の改まりを第一としなければならんのか、私はそこのところを限りなく美しゅうなりましょうやと、こう言うておる。お互い限りなく美しゅうなりましょうや。
 どんな問題があっても、お互いが限りなく美しうならせて頂こうというところに、問題がなくなる。問題にもならない問題を、問題として難儀をしておるね。限りなく美しゅうならせて頂くという事を、私は椛目では一生懸命勉強致しておるのであります、また同時に、皆さんもそこんところを稽古なさっておられる。その事を神様がお喜び下さらんはずがない。その喜びが私共に返ってこんはずがない。その喜びがおかげを頂けれるおかげの受け物となる訳なんです。
 私共がそうした、天地の親神様のお働きという、対自然の働きというものをです、私共がそれをこうもう、直視しなければいけない。その事を本気で私共が見極めようと努めなければいけない。それは私の上に起きてくることろの、自然に起きてくるその問題を、直視しなければいけないね。そこから神様のお声が聞こえてくるようになり、そこから神様の心を読ませて頂く事が出来るのである。こうしてお話かけて下さる訳ではないけれども、そこにこれが神の声であろうか。
 これが神の姿であろうかというものを見る事が出来る。そしてその神様のお心に私共が次第に添うて行くところのおかげ、ね。天地の親神様の御信心というのは、そりゃ生神金光大神様、天地金乃神様というて、いわゆる拝み上げておるだけではいけない。金光大神様のお取次を頂かせて貰うて、金光大神様が体得なさった、その天地の大恩、大徳というものを、大愛というものをです、私共にそれを頂かせて貰うところの、おかげを頂かせて頂く為に私共は、事の事態というものを直視しなければいけない。
 それをいい加減にしてはならない、ね。それを私がお風呂に入らせて頂いてね、お風呂がこうすいたところが、まぁだ、この位ばっかりお湯があいておったとするならばです、これは可笑しいんだと、私を極楽、極楽と思わせて下さる為に、いうならば、お風呂に入らせて下さるのに、この辺までしかお湯がないとするなら、おかしい事じゃないですか これは可笑しいぞとこう、私が思わせて頂く時、あぁ可笑しい本当に可笑しい、あの事が間違ごうとった。
 こう下からどん々、どん々沸いてくる、そしてこうやってじゃんじゃんうめさせて頂く訳。あの丁度いい位になる。そこで洗わせて貰う。早速使わせて貰う、まぁ今日から又入った時に一杯になっておる。あぁこれでさっきのお詫びをさして頂いたらもう、神様がお聞きとどけて下さった、と言う様なものを感じなければ、私はお風呂から出られない。これは私と一緒にお風呂に入ります、高橋さんやら久富繁雄さん当りは、いつもの事ですから、そこんころをよく一緒に体験された事があろうかと、私は思うのです、ね。
 面白いんです、私は一人で入ってもそうなんです。私と今日久富茂雄さんと二人で今日入らせて頂いたんです 二人ともそうなんですね。今度は私と反対のことになるような事がある。もうどうもその入ったらざぶざぶこすごたる。そんな勿体ない話が有る筈がない。私がお風呂に入っているんだとね。というふうに私はその事から、その事をいわばいい加減にしない。そりゃたまには多かこともありゃ少ないかこともあるくさい、というふうにしない。それを直視する。その事を見極めようとする。
 そしてそれを、自分の心の上にもってくるところの精進をする。そして例えば、ふんなら今度は反対にそれもなければ、これもない。おかげの中にはいらせて頂いたら、丁度よい湯加減のお湯。しかも一杯のお風呂の中に、しかもあがる時にも、いわばそれを使わせて頂いて出る時にです、そういう中に例えばおかげを頂くから、有難うして堪えんなぁという事になっくるんじゃないでしょうか。
 神様の御守護の手中にあるという事が、これを見ただけでもわかるんだと、神様がこういう微妙な中にもお働き下さっておるんだ。お湯に入ってお湯の中にはやはり有難い事だなあ、有難い事だなあと繰り返しさせて頂く。上がらせて頂く。合掌せずには出られん。出るわけにはまいりませんね。
 私は信心生活とはそう言う様なもの。まして、天地の親が対象とするところの信心はそうでなからなければならない。天地の事は知りて知りがたきもの。しかも恐るべし、恐るべしと教祖は結んでおられます。私共天地の中で、どういう科学が発達いたしましても、天地の事をつまびらかにする事は、それはもうできる話じゃないのです。そこで教祖の神様は、ほら次に、物事時節にまかせよと仰る。物事はあせるな。時節に任せると、任せるという事が又大事。
 任せるという事が本気で改まらせて頂き、本気に磨かせて頂き、本当に限りなく美しゅうならせて頂こうやと言う様な、信心にならなければ任せられない。限りなく私共が本心の玉を磨く事に、改まる事に、美しゅうならせて頂く事に精進させて頂いておりますとですね、本当にそれはなおざりではなくて、どうでもよいという心が頂かれてくる。私は今度の御本部行きの学院の事でもそうだ。私はどうでもよいのである。ですからもうこんなに楽な事はない。
 というてそんなら学院に行くのにです、私は、もうどうでもいいんだから、ほけんごとしとるかというとそうではない。学院に行って試験を受けなければならんのなら、やっぱりあの試験の道具の鉛筆やら、万年筆やらまだ用意しなけりゃならん。そういうものも今度用意して買わせて頂いた。又時計も買わせて頂かにゃならんと、時計も買わせて頂いた。八千円も出して買わせて頂いた。正確な。
 ところが八千円もする時計をはめたところが、私が時計というものをはめた事がないもんだから、時計の方がいう事をきかん。三時間も遅れる一日に。こりゃもう私には時計は性に合わんと思うてからとうとう時計屋さんに返してしもうた。そいうふうにしてです、例えば、試験に行かなければならんといやぁ、その為の私は一生懸命の努力はする。その事をもう御広前金光様は、全ての事を実意をもって大切にと仰る。
 その事を私は実意をもってすべてを大切にさせて頂いておればです、いらんものは神様がちゃんと、いらんようにして下さるという。試験に時計も持っていかん訳にはいかん。だから私、買わせて頂いたけれども、そんな筈はないですが、これはとってもよか時計ですけんあなた。そげな一日にどん位しか進んだりはせんのに、そん三時間も遅れる筈はなか。ところが実際私が使うと止まったり、そのあれしたりそのする訳なんですよね。それでそんな訳いうてまぁ引き取って頂いたね。
 実意をその事を、実意をもって大切にさして頂いておればですね、いらないものはいらないものとして、神様が別にそれはせんで済む様におかげを下さるのです。私共が限りなく美しゅうならせて頂くという事。私共が本気で本心の玉を磨くという事。本気で私共がこれではいかん。ここを改まらして頂かにゃという事をです、改まらして頂くというところから生まれてくるのがです、素直な心。
 あの人はほんに素直な人。もう本当に馬鹿んごと素直な、あれは本当の素直じゃない 本心の玉を磨いていってこそ素直な心。成程そういう素直な人がありますよね。けれどもそれじゃそれでは違う。信心させて頂きよるとおのずと素直になるのである。信心をたっするだけじゃない。本気で改まらせて頂きよる、磨く事に美しゅうならせて頂く事に精進させて頂きよると、素直になって行く。本当に馬鹿じゃなかろうかというごと素直になっていく。そこに何事にも素直心の一つにて、雲の上まで登道が開けてくる。
 いわゆる神様と親戚付き合いが出来るようになってくる。降る事でも照る事でもちゃんと教えて下さるようになるのである。それどころではない。もう本当に神様がこのような事に限って、お働き下さるのかと思う位にお働きを、声を感じるようになる。こちらの受信機がいよいよ正確になって行くのですね。先日でした。久しぶりでお参りをして来た方がある。北野から、昔の少年少女の会の時代に参って来ておった。そこんところのお母さんが婦人病の為に、病院に入院しなければならない。
 手術をしなければならないと、言う様な診断を受けた時に、丁度、椛目にお参りをしてくる人と電車の中で会って、お導きを受けてから参って来た。おかげを頂いた。手術もせんでよかった。病院もいかんでよかった。それから有難とうならせて頂いた。しっかり参って来よんなさった。子供達も少年少女会に通わせるように、おかげを頂かれておられた。そうして、どうでも神様をお祀りさせて頂きたいというて、ここからお社を求められてから、北野の深町さんて魚屋さんなんです。
 けれども、持っておいでられて、そん時も北野の方達が四、五人丁度お参りしあわせて、お共があってからお参りさせて頂いた。もうそん時の事なんかあの、それこそ今時の人が聞いたら、すらごつと思うような事があった。私がお社を綺麗に掃除をしてから、御神米を私がその、私はどげんしてせにゃええかわからん。だから御神米に水引をかけてからあの、このお社のここんところに、お祭りさせて頂こうと思うてから、ここに私、こう納めるようとした私の手がですね。
 ハッとこう何かに引きつけられるようにこの中に寄り添う様においさみがこの中でカチッちゅうてあってから、ここにあの御神米がつかれたきりだった。上をもう天地がこう開いている。もうそれこそカチッという、おいさみと同時に、ここに真ん中に納まられたきりでした。まぁその当時は、そう言う様な奇跡的なことがあっておりましたんですけれども、そういう有難い神様をお供して北野に帰られた。
 それ以来何十年なりますけれども、なるんですが、そのまぁ段々繁盛のおかげを頂いてから、まぁ信心もいらんでよい位におかげ受けてあったけれども、今度のその子供さんが嫁さんを貰うた。今度始めて子供が出来る。ところがその逆子になっておる時に、今度昔十年前に、少年少女会の時分にお参りしてきよった。その参って来てから、その今日あちらの板場さんの方の御用を頂いているんですねその人が。
 お魚屋さんですからね。もう今日、今さっき、久富先生が言われるんです、もう私も十何年間包丁を握って来たけれども、もう後は町田さん、深町さんと二人でもう先生、上さん上がって下さい。あてどんがおかげ頂きますからと言うて、そのやってくれますから卒業したと喜んでおられる。それがね、もう椛目で、その御用頂いておられるのがですね、私が魚屋さんじゃけんせんならんじゃなくてね、もう有難うて、嬉しゅうて堪えんでそうしござるというのが、椛目の値打ちだと私は思うんです。              その人がですその当時、椛目の少年少女会で平原で信心の実習会があった。平原公園で。その時におしめりがあった。今その時の嘉郎さん達が一緒だった。そこでその丁度御祈念中であったね。あの野原に子供達が皆んなあの座ってから、一生懸命天地の親神様を拝んでおった。御湿りがあってきた。そしてその御祈念が終わった時に、その時に引率しておった先生が、皆さんに御祈念さして頂いてこげん雨が降っとる。地が濡れるごと降っておるけれども、私達の着物がぬれておらん事に気がついたですかというた。
 子供の時にその事だけは覚えておった。いや本当に昔はあぁいう、ほんに奇跡を子供の時に見せて頂いた事があったが、ね。これは何十年ぶりに敷居は高いけれど、そこをお参りさせて頂いて、お願いをさせて頂こうというので、その日から椛目にお参りした。そこで私は申しました。この方の道は喜びで開けた道だから、喜びじゃ苦労はさせんと仰るからね。しっかり信心をさせて頂きなさい。あんた達は子供の時から、そうした御神縁を頂いているんであるから、それから何日かしてからでした。
 病院に入っとる家内を、わざわざ一緒に自動車で連れてまいって来た、ね。丁度私が二階で休んでおった時に、ここまで上がって来てから、そうしたらなんかの用事で、家内がひょろひょろあがって来た。もうあんたは大丈夫安産のおかげを頂くばい、何故ですか、あなたが家の奥さんと合うたけんでもう、安産のおかげを頂くばい。もう家の奥さんな安産の神様のごたる人じゃけん。もう七人もう産んでござるばってん、もう本当に安産のおかげを頂いてござる。
 だからここには一つ迷信がある。いや精神かも知れませんね。お産の事でお参りした時に奥さんと御広前で合うたら、必ず安産のおかげを頂くち まるきり善導寺のご本尊のなら、あそこはそうですもんね。ご本尊にお参りする時にはですね、あの長い参道で男と会えば男が生まれる。女子と会や今度は女が生まれる。ところがそれがあう訳でもないらしいんですけれどもね。
 そういうそれでお医者さんの、あの腹帯を貰うてきてから、そのするというて、皆んなが皆んな安産しとるとうい訳でもなさそうなんだけれども、やはりそういうひとつの習慣がある訳ですこの辺ではね。それからまぁ喜こんで帰りました。毎日参ってくる。ところがその、それから何日かもうした時にが、もう一週間位でしたでしょうかね。その生まれなければならんのが、生まれない訳なんです。それでお医者さんがこりゃ、どうでも帝王切開ですか、して出さなければならんとこう言われる。
 それでお願いしたところ、あの手術はねせんでも、これこそ時節を待っておかげを受けたがいい。そういうお願いをさせて頂いてです、帰らせて頂いたら、家内が産気づいておった。すぐお願いにきた。私はお願いさせて頂いた。先生今からどうさせて頂きましょうか。どうするていったって奥さんの側におったっちゃ生まれんじゃろけん、ここで一生懸命御祈念ばしなさい。それで私あの時ちょっと、久留米に用事があって出掛けよったから、もう一生懸命あんた御祈念しよきなさいや言うてから、私は出掛けて行った。
 ここで一生懸命ここでまぁ拝ませて頂いてから、それこそこうやって拝みよるもんじゃけんもう、拝んで立つとくのがはなれん私と同じ事でした。私も始め一番長女が生まれる時もそげんじゃった。こう一生懸命拝みよるもん。じゃけんこんだもう、ひっついて離れんとじゃもん。あがしこ拝むなら神様もお聞きなさるち。それからやっぱり気が気じゃないもんじゃから、そのいろんな自動車で、あちら行ったりこちらに行ったりしてから、あのその送ってあげたりなんかしてから、ここで御用を頂きござるね。
 そして病院にやらして頂いた。ところがこりゃ、深町さん本当に軽率な事じゃけれども、思うたよりこれは難産だ、難産だね。どげん何べんしてもそのまともに出てこらずに手の方から出てくる。あぁじゃないどうかな、足のどうか反対、とにかく何べんしてもそうだ。だから可哀相なけれども、母体の方が大事だから、この子供の命だけはもう諦めてくれと、こういう、そん時深町さんが思うたちね。
 先生私は、椛目の金光様に参ってお願いしとりますから、どうぞ助けて下さい。その生かして産ませて下さいと言うてから、そのお医者を神様のごとして拝んで頼んだ。それから間もなく、安産のおかげを頂いた。もうお医者さんも喜こびなさるならば、あの本人も喜こぶ。もうそれこそ大変な喜び、すぐ御礼に出て参りました時には、もうここではお名前まで頂いておる。私がもうそん時に、あのお届けをさせて頂きました。
 そん時に神様に頂く事がですね、いわばまぁ信心が本当のお道の信心がそんな事ではないんだけれども、世間では今年女の子が生まれると、丙馬とこういうもう出来るなら、いっちょ息子が生まれんならんというふうに思うておる。爺も婆も本人もやっぱそう思うておる。そこでやっぱり安産のおかげを頂きたいのと、同時にそれが心配なのであるね。そん時頂いたのが丙馬じゃないちから頂いた ははぁ丙馬じゃなかっちゃけ、こりゃ息子ばいなと私は思うた。
 そこで息子のおかげを頂かせて頂いてから、ね、依頼熱心に積極的な信心が出来ております。そう言う様な事もです、天地の親神様なればこそのおかげなのです、ね。子を産むは自分の力で産むと思うな。医者の力じゃあない。皆んな神の恵むところぞ。こう仰る様にです、神様から恵まれるという事、その恵まれる事をお互いが、よう受けきらんのである。それを例えていうならば、任せる心。それが受けてみる心になるのである。一生懸命に御祈念をする。
 拝むという事がそこに結局おかげの頂けれる一致点が出てくるのである。おかげを頂かせて頂きましてから、そうした天地の親神様の微妙な働きが、私共の上にあっておる。その働きをです、私共の心でひとつ、ひとつキャッチ出来れる信心、心の状態を頂かせて貰う事を楽しみにです、信心の稽古をさせて頂きますと、実に楽しいことばっかりなのです。それは痛い事をある。痒い事もある。
 いうならば腹の立つような事もあるけれども、今日も先程ある先生と話をした、もうこの人の事に対しては腹が立つけれども、この向こう側の神様の事を思うたら、お礼を申し上げにゃおられんじゃないのと、私が言うんです。だから有難いでしょうが、ね。お礼を申し上げる心になれと言う事が有難いのです。私共が信心に日々生活させて頂いて、信心生活によってです、私共がその天地の親神様の心を心として分らせて貰い、そのお心に添わせて頂くところの信心。
 親神様の思いが分れば分る程、その思いに深く添うていけれる所の、日常生活のあり方にならせて頂いて、儲かるからと言うてそうからと言うておわてず一騎当千でない信心を頂いて、神様の心にそうおかげを頂きたい。添う私にならせて頂きたいという願いをもって、日常生活をさせて頂くならばです、段々私共の心の上に、喜びと安心のおかげが約束される。その安心と約束のおかげの受けものを持って頂くおかげをもって、私は本当のおかげであると言う風に思う。
 そして思うのです、私共がどこから来て、そしてどこに果てて行くか、やはり私共が生きても死にても、天と地とはわが住処と分らせて頂き、やはり天地の親神様のお懐の中に帰って行く以外にはないのである、という事がわかる時に、私共の死生観までがここに生まれてくるのである。死ぬるという事がです、いうならば、あの世への誕生であるというような事が分ってくる時、私共がどうのような場合でも、どうなってもいいという、どうでもよいという心が生まれてくる。
 同時に日々の信心生活の中にです、どの様な難儀な事が起って参りましてもです、ははぁここのところを、教祖の神様はどの様な頂き方で、おいでになられたのであろうかと、いう事がわかればいいのです。一番身近なのは、椛目の先生ならはこげな場合には、どげなふうにこれを受けて下さるじゃろうか、という事を見たらいいのである。聞きに来たらいいのである。あぁ先生があぁ仰ってござるからというて、そこに任せる心が生まれて来るのである。
 教祖の神様がです、私共のそうした、天地と共に、極まりのないおかげの頂ける道を、教え説き下さってるのでございますから、その教えその道を教えて習え、その道を行じていかなければ、お道の信心の信奉者とはいえない。おかげをだんだん頂きまして、それこそどうでもよいのであるけれども、神様はおかげを下さっておる。【  でもなかろうけれど。もう私は、昨日この熊本の方だったらしい、さっきの対話の続きなんですけれども、話たんです。
 もう実をいうたら私は、ここえ座っときゃ他に何にも、あのこことここに座っときゃ私は何にもいらんとですよ。朝の五時から十二時までは、ここに座っとくのが一番有り難い。始めの間はやっぱりきつかった。けれどもこの頃は、だんだんここに座っておって、ここで例えば、ほんならほかんこつをしたり、新聞どん読んだりちゅう事はもう、阿呆らしゅうて勿体のうして堪らんごとなってきた。そして外でこう見たらこうある。ここで誰んこんでんよか。
 あの障子のガラス戸の向こうが見えるところの、榊の木を見たり石を見たりしよると、私の心はいつも喜びで一杯なんです。ですからもう実にそう私は、ここでは何んにもいらんのですけれども、神様があちら合楽の方に、あぁいうおかげを下さってもう、それこそ見事、この前ある人がこれは、九州の桂離宮のごたる。桂離宮て日本一の建物がありますよね。よい建築が、とかてあの間取りなんかをご覧になっからでしょう。そういうてあすこにいた人が人が言うたほどのです。
 いうならば、見事な御広前が着々として、御造営になっおるのでございます。その事を私、神様に申し上げさせて頂きましたら、大坪総一郎お前一人ならば、ここでよかろうけれども、沢山の難儀な氏子が助からなければならんと仰る。沢山の難儀な氏子の助かる所の場がですね、ここではいけんと。いわゆる神も助かり氏子も立ち行くという場というものがです、合楽にかけられ合楽に思い、神様の思いがかけられておるのである。そう分らして頂けば、やはり頑張らなければおられんのである。
 今朝から私、朝の御祈念にです、今日の御大祭を仕えさせて頂きます事を、本当に天地の親神様に、年に一回こうした改まった形で、私を祭主として皆さん一同で、神様の天地の親神様に御礼を申し上げるのだが、本当に神様に喜こんで頂けれるような、御礼の御大祭が出来なければならんと、言う事を思わせて頂いておったら、神様がこの御大祭を境に発心せよと仰る。おかげを頂きまして有難とうございました、と言うただけでも喜びなさろうけれども、このご大祭を境に私がこういう有難い事を発心させて頂いた。
 そこに私どもの信心の成長があるのでございます。
 神様の願は必ずそうなのです。這えば立てである。立ては歩めという親心がです、発心だ。発心させて頂かなければならない。しかも神様に喜こんで頂けれるような事をです、この大祭を境に御礼申し上げると同時に、御祈念成就の願いをさせて頂くと共にこのお祭りを境に私がこう、改まらして貰います。こうもならせて頂きますという事をです、発心させて頂くという事が、よりよい以上に神様の喜びであるという事をです。
 頂かせて貰う時に、限りなくこの神様はです私共に、限りないおかげををお恵下さろうとしておるという事を、感んじん訳には参りません。お前大坪総一郎一人なら、ここでよかろうけれども、いわゆる沢山の難儀な氏子がです、助かって行く為には、椛目じゃいかんのだ。やはりあの場がいるのだ。それであの場がいるために、神様が一人で力んだところで出来るものじゃない。
 大坪総一郎お前が力んでくれなければおかげにならんのだ。お前が本気で発心をしてくれなければ、私につながる皆んなが、その気になってくれなければ、本当の御造営の御成就にならんのだ。そこに神と氏子とが一緒に、助かろうとなさっておられるところのものを、感じない訳には参りませんでしょ、ね。お道の信心はどこまでも、私の助かりがそのまま神様の助かりに継がっておる。私の頂く御利益が、神様のお喜びに継ながっておるというものでなからなければならないという事。
 そういう信心を、限りなく続けて行きたいと念願するものでございます もう本当にこの御広前でこうして、御大祭を奉仕させて頂くというのは、もう本当にこれが最後ではないかと思います。この御広前に御神縁を頂いておる皆さんがです、そういう高度な思い方、高度な信心にならせて頂いて、私が助かるという事だけではなくてです、私の周囲の者が助かる。それがそのまま、神様の助かりに継ながっていくと、言う様なおかげを頂かせて頂く為に、いよいよ私共が本気で喜こばせて頂く、信心の稽古をです。
 本気で有難とうならせて頂くところの信心に、ならせて頂かねばならんと思うのでございます。どうぞ時間がございますなら、滅多に見えられんお方がございますから、もう幸いそこから、二すじ位まいりますと、合楽の停留所がございますから、どうぞあちらに御造営の進行しておる模様をご覧になって、神様の生き生きとした働きをです、神の息吹にです、特に触れられるという事も、又有難い事ではなかろうかというふうに思います。
   どうぞよろしく。